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シンポジウム/夏期セミナー

2020年シンポジウム・夏期セミナーのご案内

 古代文学会では、現在の東京都内での新型コロナウィルス感染の状況に鑑み、シンポジウムをオンラインで開催いたします。
 メール会員の方にはメールにて前日までにPDF資料を、当日開始30分前にZoomのミーティングアドレス・ID・パスワードをお送いたします。アドレス・ID・パスワードは、悪意ある乱入者防止のため当日配布になることをご容赦ください。PC(Windows・Mac)でアクセスする場合は、インターネット環境のみで参加できます。
 非会員の参加希望者に対してはHPからゲスト参加用のwebフォームを用意しておりますので、非会員の方をお誘いする際にはこちらをご利用ください。
http://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/2020zoom/

総合テーマ:
「固有名―コンテキストの結節点

趣旨説明

 テキストを読むとはいかなることか、古代文学研究の現状はこの問を常に意識したものとなっているであろうか。限定的なテキスト論を上代文学研究に持ち込む論が活発であった一時期があった。その後、極度に一つのテキストに閉じた議論は見られなくなったものの、読み、解釈というレベルに閉じることによって、テキストそのものがいかなるものか、それを読むという行為はいかなることか、積極的に触れない傾向すらあると言ってよい。
 テキストとは一つの完結された世界ではあるが、その時代に共有された知がさまざまに編み込まれたものである。それ故に、読む行為とは、文字列の理解にとどまるものではなく、その時代の知のありように近づいていく行為に他ならない。
 一つのテキストとは言いながらも、その中に、様々なコンテキストが織り込まれることによって初めて統一態としてのテキストがある以上、それらのコンテキストのありよう、その統一のされかたをとらえていくことが具体的な読むという行為といえようか。
 本年度は「固有名ーコンテキストの結節点」をテーマとしてシンポジウム、セミナーを企画したい。
 テキスト内に書かれた固有名は単に何かを指示する記号ではなく、その名前に付随する外部的なコンテキストを直接に引き込んでくる強制性を保持している。それと同時に、固有名が記されることで、またその固有名にかかわる新たなコンテキストが作り出されてしまう。
 具体的に言うのであれば、歌に付された歌人名はその歌の読みを規定するし、また、その歌のありようが歌人の像を構築していくことにもなる。『古事記』『日本書紀』においてそれぞれ作り出されたヤマトタケルという個人名が持つコンテキストは『風土記』にその名前が記述されることによって『風土記』内部に引き込まれていくことになる。書名という固有名に着目するのであれば、『万葉集』内部における「類聚歌林」や「人麻呂歌集」という名称の働き方に関しても考え得る。こういった問題は、地名、神名等でも同様に発現する。
 コンテキストを引き込み、また作り出して行く作用の結節点としての固有名に着目することで、間テキスト的な知のありよう、テキストの構成のされ方を動的にとらえていく企画としたい。

シンポジウム

日時:2020年7月4日(土) 13:00~18:00
場所:Zoomによる遠隔開催(参加リンクを30分前に送信)
パネリスト・題目:
津田博幸「固有名と物語」
金沢英之「『日本書紀』の引書注をめぐって──巻九神功皇后紀を中心に」
佐野宏「雄略天皇御製歌──文脈付帯語の形成について──」

発表要旨

津田博幸「固有名と物語」 
 ソールA・クリプキ『名指しと必然性』は名前・固有名は「固定指示子」であって、「短縮されたまたは擬装された確定記述」や「記述の集団」に結びついたものではないと主張した。ここでクリプキの言う「確定記述」や「記述の集団」を「名前・固有名を説明するコンテキスト(または物語)」と読み替えると、本シンポジウムのテーマに適用できよう。クリプキは名前・固有名はそれを説明するコンテキストとは関係なく「固定指示」機能をもつとする。とすると、固有名はそれが記されたテキストとテキスト外のコンテキストを結びつける結節点であるという考えは固有名の本質的機能とは関係のない現象を扱うことになる。
 典拠論・引用論・間テキスト論その他、本シンポジウムの考え方は文学研究にとっては常識であり、全てが否定されるべきものではない。だが、クリプキの「固定指示子」という観点を導入することによって、テキスト上で起こっていることをより深く理解できるのではないか。神名の顕現、名告りの機能、意味や典拠のわからない名前・固有名、折口信夫の「生命指標」説などをめぐって考えたい。

金沢英之「『日本書紀』の引書注をめぐって──巻九神功皇后紀を中心に」
 『日本書紀』には、『百済記』『百済新撰』『百済本紀』のいわゆる百済三書をはじめ、『日本旧記』『帝王本紀』『伊吉連博徳書』『難波吉士男人書』『日本世紀』等、多数の書名が注にあらわれる。これらの書名もまた、『日本書紀』と〈外部〉とを結びつける固有名詞の一端をなしている。それらは概して、『日本書紀』本文の内容を補完するとともに、その歴史記事の事実性を、外側から保証し根拠づける機能を持つ。そのなかで、他とは異なる特異な位置にあるのが、巻九神功皇后紀に引かれる『魏志』『晋起居注』の例である。これらの引用箇所においては、『日本書紀』の本文そのものがほとんどなく、内容的にも、『日本書紀』に直接対応するものをもたない。従来この点は、『魏志』等に記された倭女王(卑弥呼)と神功皇后とを重ね、その時代を定位するためのものとして、『日本書紀』紀年論との関わりでとりあげられてきた。端的に言えば、『日本書紀』はこれらの引用を通じて、『日本書紀』の歴史的時間を世界史の時間に結びつけるのである。では、なぜそれは神功皇后紀において果たされたのだろうか。中国史書に記された倭王としては、『宋書』の倭の五王の例もあるにもかかわらず、『日本書紀』はそちらには一切触れることなく、知られるように干支二運を繰り上げる年代操作を行ってまで、『魏志』『晋起居注』と神功皇后紀との対応を選択する。そのことの意味を考えるために、神功紀がその全体として語るもの、そして『日本書紀』三十巻の中で神功紀が持つ意義を、文学の立場から読み解いてゆきたい。

佐野宏「雄略天皇御製歌──文脈付帯語の形成について──」
 固有名詞は語義の発動を停止し、固有指示機能によって符号化しているが、それ故に、説話などの文脈付帯語としての位相を形成しやすい。これを地名起源説話の構造などから示した上で、萬葉集巻一巻頭歌において、雄略天皇の記紀での文脈を付帯文脈として加味することで、作者情報が文脈指標として機能することを例示する。和歌の作品中の語ではなく、作品外の作者情報が作品解釈上の補助線になることから、固有名詞に文脈付帯語の形成契機を捉える。

夏期セミナー

日時:8/19(水)~8/21(金)各日13:00~17:00
会場:Zoomによる遠隔開催(参加者には参加リンクを開始30分前に送信)
参加申込:事務局(jimukyoku@kodaibungakukai.org)まで御連絡ください。古代文学会HP「お問い合わせ」フォームでのお申し込みも可能です。

発表者・題目:

大塚千紗子「「豊葦原水穂国」──『日本霊異記』冥界説話と神話のコンテクスト──」

 『日本霊異記』中巻第七縁は、智光法師が行基を誹謗した罪により冥界に堕し、そこでの責め苦を通して行基へ懺悔をする内容である。『霊異記』の「冥界説話(冥界遊行説話)」は説話の中心人物が、閻羅王の主宰する冥界へと赴き、そこで見聞した様を語るという一定の形式を持つ。当該説話もこの形式に当て嵌まるものの、他の冥界説話と比した場合に特徴的なのは、閻羅王の侍者が智光のもと居た場所を「豊葦原水穂国」と呼ぶ点であろう。言うまでも無く、記紀神話を初めとして上代文献に見られる「豊葦原瑞穂(水穂)国」また「豊葦原千五百秋水穂国」は、日本国の呼称であり、その土地の豊饒なることを褒め称える意を持つ。本発表では、「豊葦原水穂国」という固有名が仏教説話集に表れることで創出される新たなコンテクストについて検討したい。

谷口雅博「葦原中国平定神話における地名の役割」
 神話に現実の土地の名が記載される意味を、主として『古事記』の葦原中国平定神話を対象として検討する。
 葦原中国平定神話では天上界から三度神が派遣されるが、そのうち、失敗に終わる二度目までについては、具体的な地名が記されることは殆ど無く、唯一記されるのが「美濃国の藍見河の河上に在る喪山」である。一般に葦原中国平定の神話は出雲を舞台とすると考えられているが、少なくとも二度目の派遣の話までは、舞台を出雲と限定する具体的要素は無い。一方で三度目の派遣、即ち平定が果たされる場面になると、出雲国などの具体的な地名がしばしば記載されるようになる。まずはこの前半部と後半部との相違について考える。その上で、具体的な地名の記載が神話文脈にどのような意味をもたらすことになるのか検討し、それら地名が神話世界と現実世界、天上界と地上界、ヤマトと出雲といった二重の視点や認識を重ね合わせる役割を果たしていることを論じる。

小橋龍人「古今集歌にまとわりつく固有的な像」
 中古の和歌では往々にして、詠作者の実作か否かが問題にされている。同一歌が諸書で詠作者名を異にする場合、勅撰集の表記などを根拠とし、それへそぐわないものは誤りとみなされることがある。「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」を例にとれば、『古今和歌六帖』(一八一八)や『三十六人撰』(六)には明確に人麿の「名」をもって掲げられており、その名を負った歌として伝わっていたとみるべきだろう。しかし、『古今和歌集』ではあくまでも羇旅部(四〇九)に収載される「この歌は、或人の曰く、柿本の人まろが歌也」という左注がついた読人知らず歌である。このような詠作者像の問題を、歌表現と関わらせて考察する。

池原陽斉「平安時代前中期の和歌集における「萬葉歌人」の像」
 平安時代前中期における「萬葉歌人」のコンテキストのありようを探り、その実態がどのようなものなのか、あるいは、いかに形成されたと考えることができるのか。以上が本セミナーの趣旨を踏まえた、本発表の概要ということになる。
 とは言っても、現存する歌学書が多く著された院政期以降とは異なり、平安時代前中期には、「萬葉歌人」が登場する文献こそいくらか存するものの、「ある歌の作者である」という以上の情報を読み取ることは困難な場合が多い。いきおい、限られた範囲の文献の中から、特定の歌人を取り上げ、検討していくほかないように思う。
 具体的には、有間皇子、石上乙麻呂、柿本人麻呂の、三名の歌人を検討の対象とする。前者二名のうち、有間皇子は『日本書紀』に謀反事件、乙麻呂は『続日本紀』に配流についての記述のあることが知られ、それと関連するらしき歌もそれぞれ『萬葉集』に残されている。また、人麻呂が『古今和歌集』の両序において「歌聖」として遇され、この「厚遇」が以降の説話化の発端となったことは、人口に膾炙しているように思う。
 理由は異なるが、いずれの歌人も上代以降においてもコンテキストを形成する事情に事欠かないと思しく、実際にその痕跡を認めうる。『古今集』成立の十世紀前半から、十一世紀前半の『拾遺和歌集』の時代を対象に、後世の歌学書とも対比しつつ、彼らのコンテキストのありようの一端なりともを明らかにすることが、本発表の目的となる。



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