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シンポジウム/夏期セミナー

2021年シンポジウム・夏期セミナーのご案内

 

 古代文学会では、現在の東京都内での新型コロナウィルス感染の状況に鑑み、シンポジウムをオンラインで開催いたします。
 Zoomの登録機能を利用します。ご参加を希望される方は、以下のリンクから参加登録をお願いいたします。
https://zoom.us/meeting/register/tJEqd-uqpzMjHtASlEW6o6jAwlwuMTnIzmoo
参加登録を行うと、登録の際に入力されたメールアドレスに、参加用URLが記載されたメールが届きます。参加手順の概要は以下の通りです。
①上記URLより参加登録ページに移動し登録
②参加方法と発表資料入手方法が記載されたメールが届く
③メールに記載されたURLから発表資料をダウンロード(シンポジウム前日午前中にアップロード予定)
④開催時間にメールに記載された参加URLリンクをクリックして参加

総合テーマ:
「古代文学」と共有知―生成と変成、その複層性―

趣旨説明

 古代文学会では、2016年度シンポジウム・セミナーの総合テーマに「ヴァリアントの古代」を設定して以降、多様なコンテキストを抱え込んで成り立つ古代文学の様相を追求してきた。そこでは、ヴァリアント(変異体)を成り立たせるエピステーメー(知的台座)、コンテキストの結節点としての「歌」・「固有名」へと展開することで、視座の具体化を試みてきた。古代文学におけるヴァリアントとコンテキストは、いずれも時代の知と不可分に関わり合う。それらによって織りなされたテキストは、知の発現として捉えることができる。
 そのように見据えた時、テキストが書かれると同時に知の体系へと開かれる様に目を向けることで、より動的に捉えることが可能になる。たとえば、『万葉集』各巻が標目や題詞、左注を伴う歌々によって構成されるありようは、巻内で共有されるべき規範としての知が前提されていると捉えることが可能である。また、数次の編纂段階を想定するとすれば、先行する巻が抱える共有知を前提とした、新たな共有知の生成も想定される。さらに、後世での享受という状況もまた、共有知を新たなものへと変成することに繋がるだろう。テキストに対する注釈は、その典型例として挙げられる。知の発現としてのテキストは、知のダイナミズムを生じさせる機構として捉えられるのではないか。

シンポジウム

日時:2021年7月3日(土) 13:00~18:00
場所:Zoom(参加登録後、参加用URLを含むメールがZoomより送信されます)
パネリスト・題目:
猪股ときわ「共有知と神話的思考とー「軍(いくさ)語り」の歌から」
飯泉健司「都鄙をめぐる〈知〉―風土記類文書のサイクル」
阿部泰郎「聖徳太子片岡山飢人邂逅伝承の生成と変成」

発表要旨
猪股ときわ「共有知と神話的思考とー「軍(いくさ)語り」の歌から」
 皇位継承をめぐる神功皇后(+幼太子)と太子の異母兄忍熊王らの戦いは、『古事記』、『日本書紀』とも、歌とともに描かれる。皇后方戦力の主要人物名が異なる(『記』は「ふるくま」=将軍振熊命・『紀』は「たまきはるうちのあそ」=武内宿祢)ものの、敗者側が追い詰められ、相手方の戦士の「いたて(痛手)」を負うくらいなら「かづき」(潜き)をしようと歌って朋輩と共に水に潜る(沈む)という点は共通する。
 ここには、同時代のヴァリアントどうしが共有する、歌う行為や歌声にまつわる「自死する前に歌うもの」という認識(共有知?)がみとめられよう。この認識には、敗者側の声が自分に「いたて」を負わせた戦士の名を歌うことで、その戦士ははじめて勝者となる、という「軍(いくさ)語り」(「いくさ」は兵士、戦士)の論理、すなわち、〈「相手」の視点をえることで「自己」になりうる〉(*1)という神話的思考が働いているだろう。敗者の歌は敗者の鎮魂に抗し、いつまでも現在形の歌声としてあることで、勝者はかろうじて勝者たる自己を保つのである。
 さらに注目したいのは、『記』の歌は上記の一首のみであるのに対し、『紀』には敗者方・勝者方それぞれ二首ずつの歌が抱え込まれていることである。
 『紀』は、説話文では皇后方の戦闘・進軍過程を圧倒的な優位・正当性のもとに語る。対して、『記』の説話文は、両軍が対称的であるかのように語ってゆく。両書の説話文の語り口は大きく異なるのであるが、そうであればこそ、『紀』の歌による「軍語り」は、『記』の説話文の語り口と切り結んでゆく要素をはらむのではないだろうか。
 前稿(*2)では『記』を中心に考えたが、今回は『紀』を中心として、同時代テキスト間をわたり生成・変成する「軍語り」をめぐる共有知や神話的思考の生態に迫りたい。
*1参照:エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ『食人の形而上学 ポスト構造主義的人類学への道』(洛北出版、2015):193~4p
*2猪股「歌と語りー『古事記』の忍熊王の乱を中心に」(吉田修作編『ことばの呪力 古代語から古代文学を読む』おうふう、2018)

飯泉健司「都鄙をめぐる〈知〉―風土記類文書のサイクル」 
 奈良時代、日本全国で風土記が作られた。現存するものは、和銅風土記・天平風土記等と呼ばれ、多少内容を異にしながらも古風土記として一括される。
 しかし、古代の風土記は、和銅風土記・天平風土記に限られるものではない。すでに中村啓信、瀧口泰行、兼岡理恵が指摘するように、地方から中央に提出された「解」としての風土記はは、何種類もあったはずだ。民部省・中務省・大蔵省といった官庁に提出された地方文書の中には風土記に類する文書が多数あったことは想像に難くない。瀧口泰行はこれらの文書を「風土記類文書」と呼び、奈良時代~平安時代にかけて、総合的に捉える必要があることを説く。
 「風土記類文書」は、国司が赴任前後に任国を調べる際に利用されたと考えられる。のみならず、省庁の枠をはみ出して、歌の世界にも活用された節がある。特に歌人たちが「歌枕」を求めて、風土記類文書を読んでいた可能性は高い。地方に着任して「歌枕」を目の当たりにした後、「歌枕」への認識を改めたり、中央に戻ってから新たな「歌枕」を発信したりしたのであろう。そうようにして「歌枕」が更新される。一方、地方でも郡司を中心に、都の「歌枕」熱に呼応する動きが起こる。
 このように、風土記類文書をめぐり、地方と都との間で〈知〉が循環している。〈知〉が都鄙を循環するには、都鄙で共有された〈知〉が存在しなけらばならない。
 よって本発表では、風土記類文書において、全国規模で共有される〈知〉のあり方について考えてみることにする。

阿部泰郎「聖徳太子片岡山飢人邂逅伝承の生成と変成」 
 古代から中世へ変成しつつ展開し続ける“共有知”の典型から座標として、聖徳太子と飢人の歌をめぐる伝承を取りあげよう。片岡山邂逅譚というべき聖(ヒジリ)と聖の出逢いは、道と墓、行路と葬送から、死者をめぐる貴と賤、浄と穢の葛藤を、詠歌行為と衣の贈与により超越する、冥顕にわたる世界の境界を露呈させる越境に満ちている。それが『日本書記』推古紀に創出された太子像の、「聖」の側面を構築するに欠かせない伝として記され、「遊行」する太子が、片岡山の路辺に臥せる「飢人」に詠みかけた歌が「施頭歌(ないし夷振)」という特殊な様式の典型とされるなど、また『日本霊異記』と『万葉集』の異伝に照らすとき、それ自体が多くの問いをはらむだろう。
 古代太子伝の生成において、片岡山飢人伝承は、とりわけ『補闕記』から『聖徳太子伝曆』へ集大成される際の大きな焦点である。むしろその過程で注目されるのが、為憲『三宝絵』で、その仮名の太子伝が太子と飢人の和歌の問答の形をとり、この歌問答が同時代の『拾遺抄』『拾遺集』で重要な位置を占めることは、実に示唆的である。
 以降、この歌問答伝承は、中世に太子伝の唱導と和歌の二つの領域で、説話文芸と学問注釈の世界にまたがって展開するが、二つの位相は互いに交錯、交通して変成を遂げていく。院政期歌学書では「権者の歌」(袋草紙)の例となり、また和歌の起こりの一環を太子伝に拠って説話化して叙す(古来風躰抄)が、それが鎌倉初頭には、片岡山の「達磨墓」への参詣という聖地巡礼の記念的テクストとして『建久御巡礼記』に登場する。
 一方、中世にあらたな尊格として変成した太子信仰の正典(カノン)であった『伝暦』の学問注釈のなかで、太子と飢人の歌は、その詞に秘められた深義の解釈が重ねられ、その釈義は、歌学秘伝とも交錯し、それらの所産は、中世太子絵伝の絵解き大本として編まれた中世太子伝『正法輪蔵』に、秘事口伝説も挙げて統合されるに至る。そこには、飢人(達磨)を介して禅の流伝縁起の文脈も説かれており、片岡の達磨墓が中世の仏教諸宗寺院と諸権門とのせめぎ合いの場と化した消息をも映しだしていよう。

夏期セミナー

日時:8/19(木)~8/20(金)各日13:00~18:00
会場:Zoom(参加登録後、参加用URLを含むメールがZoomより送信されます)
参加申込:以下のリンクから参加登録をお願いいたします。
https://zoom.us/meeting/register/tJctdOGvrTgqH9I8MtlIx8DslVmg0I_itOWP
登録後、参加方法と発表資料入手方法が記載されたメールが届きます。発表資料については、メールに記載されたURLからダウンロードすることができます(発表資料は、セミナー前日午前中にアップロードを予定しております)。

発表者・題目・要旨:

山﨑健太「人麻呂――共有知化される固有名――」
 人麻呂作歌そのものは『万葉集』テキストの中で繰り返し「共有知」として引き受け直されている、といって間違いない。しかし、「人麻呂歌集歌」に関してはどうであろうか。「人麻呂の表現を摂取する、襲う」という説明にとどまり、「人麻呂歌集」という実体の見えないテキストが、『万葉集』というテキストによって意図的に変成されなおされているという認識、説明になっていなかったのではないだろうか。
 本発表は、そういった視点で「人麻呂歌集歌」を捉え直すことを目的とする。具体的には巻一〇の雑歌の部立ての中身に着目していきたい。巻一一、一二の巻名などからも人麻呂歌集歌を「古」とおき、奈良朝現在の歌を「今」としているであろうことは明らかであるが、その人麻呂歌集歌を「古」の歌として置くことで、どのような共有知が存在したように『万葉集』というテキストは見せているのであろうか、また、それに引き続いて「今」の歌が並べられることで、その共有知はどのように変化したと『万葉集』は見せているのであろうか。「人麻呂歌集歌」をなぞる、襲うといった視点でなく、「人麻呂歌集歌」を現在の歌と並べることで、テキストが見せようとしているものを捉える目的で巻一〇の雑歌を眺めてみたい。

兼岡理恵「風土記研究・注釈史から見えるもの」 
 風土記の注釈は、17世紀後半、岸崎時照『出雲風土記抄』を端緒とする。時照は、松江藩士として出雲国内の巡検で得た見地等をもとに同書を執筆している。一方、『出雲風土記解』は、遠江の国学者・内山真龍が、出雲の実地踏査をふまえた上で為した注釈書である。さらに時代が下って19世紀末~20世紀初に出版された『標註古風土記』『古風土記逸文考証』は、水戸の彰考館に務めた歴史学者・栗田寛によるものである。 
 いわゆる「文学作品」ではない、地誌である風土記は、歴史・文学・地理学・考古学等、さまざまな分野・立場から研究がなされているという特徴がある。またその担い手の多くが、各国の出身(在住)者ということも特徴の一つだろう。
 本発表では、近世~近代(主に戦前期)の風土記研究・注釈史を辿ることで、各国の風土記、ひいてはその地域をめぐる様々な知の在り方を明らかにしていきたい。

山本大介「「霊異」を語り記す――「他国の伝縁」と『日本霊異記』」
 『日本霊異記』における「自土の奇事」の編纂は、『冥報記』『般若験記』といった「他国の伝録」が意識されるかたちでなされる営為としてあった。「日本国」において顕現した「奇事」とは、「日本国」固有のものとして捉えられるものではなく、「他国の伝録」との関係において捉えられるものであったといえよう。このことは『日本霊異記』が「自土の奇事」を叙述する形式ともおそらく不可分である。『日本霊異記』は、「自土の奇事」を〈題目〉・〈説話〉・〈説示〉の形式において叙述する。とりわけ「自土の奇事」が語られる〈説話〉のあとに続く〈説示〉においては、〈説話〉の内容に応じた讚とともに仏典の文言や教義の要文が記されることが少なくない。「自土の奇事」は〈説示〉との関係する〈説話〉として語られることで、〈説示〉で説かれる仏典や「他国の伝録」の知と通底するものとして見出され、意味付けられているといえよう。〈説示〉において語られる仏典や「他国の伝録」の文言は『諸経要集』『法苑珠林』といった類書をはじめ複数の典籍にみられ、それらに依拠した文言も決して少なくない。そのような共有知としてある仏典や「他国の伝録」と関連付けることを通して「自土の奇事」を語る『日本霊異記』のありようについて考えてみたい。

渡部亮一「仏典注釈者の継ぐ意識」
 景戒『日本霊異記』は、さまざまな経典のフレーズを、日本国に生じた奇事によって知る。それは仏典注釈の一形態といえるが、『霊異記』の「引用」には現存する経本文とは異なる例が目立つ。このような取意による経引用は景戒独自の手法ではなく、中国や朝鮮などで書かれた仏典注釈にもしばしば見られる。一字一句間違えずに写すという意識とは別の経典受容のあり方といえよう。
 もちろん文字列を変えれば、フレーズの示す意味も変化する。『霊異記』の経典引用にも、そのような例が存在する。重要なのは、フレーズの変容が一回きりの出来事ではなく、注釈を継ぐ実践の中で生じる点にある。『霊異記』は中国の『法苑珠林』や新羅の『梵網経』注釈など、先行テキストとの関係が指摘される。また景戒は、慚愧の宗教体験の夢で「諸教要集」と写経用の紙を受け取ったと語る。過去を継ぎ生まれるテキストのありようについて検討したい。 



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